平成12年4月1日(土) 東京・目白台の「蕉雨園」にて、当研究所恒例の『観櫻会』を今年も催しました。
衣紋をはじめ、雅楽・琵琶・お香・お茶、またその他の遊びなど、例年ご好評をいただく演目はそのままに、本年はさらに規模を拡大して、蕉雨園に隣接する「椿山荘」の庭園へも蕉雨園の庭園から直接に行き来できるようにしました。
またお食事も趣向を変えて、椿山荘庭園に閑静にたたずむ料亭「錦水」にて、定評ある会席料理をごゆっくりお楽しみいただきました。
ほんの一こまですが、様子を御紹介しましょう。
衣紋(装束の着装)
男性の装束は「御引直衣(おひきのうし)」、女性の装束は「五衣小褂(いつつぎぬこうちき)」です。
「五衣小褂」は、小褂(こうちき)という上着と単(ひとえ)という内着との間に五衣(いつつぎぬ)という五枚重ねの衣(きぬ)を重ねるもので、十二単に次ぐ盛装となります。
写真の小褂には、「枝桜」の文様が散らされています。
●御引直衣(おひきのうし)
一般の「直衣」よりも丈が長く、表着の裾も袴の裾も後へ引きます。
もとは皇族や公家の普段着だったのですが、現在では、天皇陛下が御大礼・勅使発遣の儀の折にのみお召しになる儀式服となっています。
●釆女装束(うねめしょうぞく)
「釆女」とは、もともとは天皇に食事を供する女官のことです。
「絵衣(えぎぬ)」や「ちはや」など、他に見られない衣をまといます。
上にはおった白い薄ものが「ちはや」で、その下に着ている花田色の「青海波(せいがいは)」の文様が「絵衣」です。 頭からは「日蔭の糸」という糸細工を垂らします。
男性の装束は「束帯縫腋袍(そくたい・ほうえきほう)」、女性の装束は「十二単(じゅうにひとえ)」です。
束帯は男性の盛装で、形式の上で大きく2種類に分けられます。
縫腋の形式は、主として文官の料となります。
もうひとつの形式(闕腋)は、下で御紹介します。
●十二単(じゅうにひとえ)
正式には「五衣唐衣裳装束」と書いて「いつつぎぬ・からぎぬ・も(の)しょうぞく」と言います。
色の取り合わせは、季節や場面に応じて選ばれます。
●狩衣(かりぎぬ)
男性の普段着です。
動きやすくするため、袖は肩の後側だけでつながっています。
下衣には「指貫(さしぬき)」という袴をはいています。
束帯などとは違って、色や文様は、比較的自由に工夫することができました。
●水干(すいかん)
狩衣から派生した装束で、もとは麻製で庶民のものでしたが、後には公家も絹で作って着るようになりました。
写真の水干は、紅梅色の無地と色々の錦とを半身ずつ組み合わせた「片身変わり(かたみがわり)」という仕立てになっています。
これも古くからあるおしゃれです。
●着装風景1
着付けの途中です。
男性には御引直衣の「長御衣(ながのおんぞ)」を、女性には十二単の「単(ひとえ)」をお着けしているところです。
お着せする側の者を「衣紋者(えもんじゃ)」といいます。
男性の衣紋者は「狩衣」を身につけています。
女性の衣紋者は「小褂(こうちき)」を、動きやすいように「おかいどり」という形式でまとっています。
●着装風景2
束帯装束の後には「裾(きょ)」を引きます。
身分が高いほど長くなり、もっとも長い天皇・東宮・上皇・関白の裾は写真のとおり1丈2尺(約3.6m)にもなります。
左側に見えるのは、十二単の腰から後へ引いた「裳(も)」です。
裳の上には束ねた髪がのっているのも見えます。
中央は「束帯縫腋袍(そくたい・ほうえきほう)」、両脇はどちらも「狩衣」の姿です。
束帯の前腰に下がっているのは「平緒(ひらお)」という帯の結びあまりで、この平緒によって太刀を身に着けます。
向かって右の男性の袴を見てください。
指貫(さしぬき)の袴は、もとはこのように長い袴の裾をしぼって、袋状にした内側を長袴のように踏んで歩いていました。
向かって左は「束帯闕腋袍(そくたい・けってきほう)」、中央は「十二単」、向かって右は「狩衣」です。
「闕腋」は束帯のもうひとつの形式です。
縫腋袍の両脇が縫い閉じられているのに対して、闕腋袍では脇が開けられていて動きやすくなります。
主に武官や未成年者の料となります。
写真は弓矢も携えた武官の形です。
●老懸(おいかけ)
闕腋の束帯を身に着けるとき、冠の紐にはこめかみのあたりに「老懸」という飾りを付けます。
結び余った紐の端が房になって風になびいている様を意匠化したものと言われています。
くさぐさの遊び
●舞楽(東京楽所)
「賀殿(かてん)」の舞楽をご覧いただきました。
「左方(さほう)」と言われる唐から渡来した四人舞の曲で、
舞人は別様鳥甲(べつようとりかぶと)を用い、襲装束(かさねしょうぞく)の右肩を脱いで舞います。
●管絃(東京楽所)
「黄鐘調音取(おうしきちょうのねとり)」、「西王楽破(さいおうらくのは)」、
「拾翠楽(じっすいらく)」の3曲をご披露しました。
●中国琵琶(孟仲芳さん)
中国屈指の琵琶奏者で世界的にご活躍の孟仲芳さんをお招きして、
日本の雅楽の琵琶とも関係の深い琵琶(ピーパ)の演奏をお願いしました。
「さくら」に因んだ日本・中国の名曲7曲をお楽しみいただきました。
●香席(その1)
「重ね色目香」
証歌は友則の「見わたせば柳さくらをこきまぜて宮こぞ春の錦なりける」
左側手前のふたりの女性が身に着けているのは「小褂」の装束です。
●香席(その2)
御参加の皆さんに、まず2種類のお香を聞いていただいて次にそのどちらかを名前を伏せてもう一度お聞きいただき、初めの2種のどちらであったかをあてる遊びです。
●平安の遊び席 より(本双六)
双六(すぐろく)は古代に中国から渡ってきた遊びで、江戸時代に始まって現在一般的ないわゆる「すごろく」とは違って、中国から西へ伝わっていったヨーロッパのバックギャモンとほとんど同じルールで遊びます。
●ワイン席 にて
数々の演目をお楽しみいただきながら、洋室ではちょっと一息、赤白のワインをお出ししました。
●日本酒席 にて
庭園を一望する2階の和室では、「さくら」に因んだ銘酒を全国各地から十種類ほどよりすぐって軽いお料理とともにおすすめしました。
蕉雨園
●玄関
蕉雨園は、はじめ明治の元勲・田中光顕伯爵の邸宅でした。
本館はどっしりと落ち着いた唐破風屋根2階建ての和風建築です。
●和室
邸内には数多くの和室があります。
当日はお部屋ごとに立華や軸にも趣向を凝らしました。
●大広間
写真左手には、ここに見える広さに倍する広間が続いており、衣紋や中国琵琶をご覧いただいているところです。
●庭園芝生
本館をはさんで南側には、ひろびろとした芝生が開けており、舞楽・管弦の舞台となります。
写真奥に見える林の向こう側は、文学史跡「関口芭蕉庵」です。
写真の左側には、離れの茶室もあります。
また、本館北側には、都心に残された最後の武蔵野とも言われる鬱蒼とした雑木林もあり絶好の散策場所です。