歴代天皇・将軍と衣紋道

 

日本の主なできごと 衣紋道のあゆみ
大宝元(701) 大宝律令によって礼服・朝服・制服の三公服が定められる
都を平安京に移す 延暦13(794)
唐文化の吸収さかん 延暦21(802) このころ、衣服にも唐風文化が強く支配した
遣唐使をやめる
文化の国風化が進む
寛平6(894) 中国文化を基調にしながらも、衣服の和様化がかたちづくられていった(「柔装束(なえしょうぞく)」)
このころ「源氏物語」の一部が流布する 寛弘4(1007)
平忠常の乱が起こる
武士が次第に勢力をのばす
このころ、宋との貿易がさかん
長元元(1028) このころ、生地に強糊(こわのり)をほどこし、鋭い直線の美を好む「強装束(こわしょうぞく)」が主流となり、着装美が尊重されるようになったこのころ、源有仁(ありひと)が衣文道を大成する
平清盛が太政大臣となり、平氏盛りをきわめる 仁安2(1167)
平氏がほろぶ 文治元(1185)
源頼朝、鎌倉に幕府をひらく 建久三(1192)
正治2(1200) このころ、源雅亮(まさすけ)「雅亮装束抄」をあらわす
蒙古の国書がもたらされ、北条時宗が執権となる 文永5(1268) このころ、「衣文の家」が衣文の奉仕をつかさどる
建治3(1277) 「口傳秘抄」
正安2(1300) このころ、各種の装束文書
鎌倉幕府が滅ぶ 元弘3・正慶2(1333)
足利尊氏、征夷大将軍となる 延元3・暦応元(1338)
応永2(1395) 室町将軍足利義満の出家する儀式の法躰装束
応永3(1396) 「法躰装束事付童躰装束事」
応永6(1399) 「装束雑事抄 上・下」
応仁の乱がおこる 応仁元(1467)
織田信長が足利義昭を追放し室町幕府がほろぶ 天正元(1573)
徳川家康、江戸幕府をひらく 慶長8(1603)
徳川幕府、武家諸法度・公家諸法度を定める 元和元(1615)
将軍秀忠の女、和子が後水尾天皇女御となる 元和6(1620) 徳川和子入内の「汗衫と唐衣裳」を調達される
元和9(1623) 徳川家光上洛、将軍宣下のさいの御服調進
これ以後、武家方の衣文も盛んになる
東山天皇、大嘗祭を再興する 貞享4(1687) 各種の装束が再興された
赤穂浪士が吉良邸に討ち入る 元禄15(1702)
桜町天皇、大嘗祭を再興する 元文3(1738) このころ、衣文の平安様式の御再興がおこなわれ、文献・遺品・絵画の総合的な検討と、その装束衣文の復原が試みられた
安政4(1857) 大原重徳ら二十一卿、朝政の改革、征長軍の解兵などを進言し、処せられる
孝明天皇の妹和宮、将軍家茂に降嫁する 文久元(1861)
大政奉還 慶応3(1867)
明治と改元、東京遷都 慶応4・明治元(1868)
太平洋戦争おわる 昭和20(1945)
昭和55(1980)
平成2(1990) 仙石久子ほか、秋篠宮文仁親王の御成婚にさいし、秋篠宮妃紀子殿下の御衣紋を奉仕する永満、宗会頭仙石宗久とともに御大礼、大嘗祭において今上陛下・皇太子殿下の御衣紋を奉仕する仙石久子、仙石知子、大嘗祭において皇后陛下の御衣紋を奉仕する
平成3(1991) 永満、宗会頭仙石宗久とともに立太子礼事前発表にさいし皇太子殿下の御衣紋を奉仕する永満、宗会頭仙石宗久とともに立太子礼において今上陛下の御衣紋を奉仕する

 

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