平成18年度たかくら会 名古屋


平成18年4月11日(火) 名古屋市内の「中電ホール」にて
「十二単」や「御引直衣」また「小褂(袿袴道中着)」「束帯」「直衣」「狩衣」など
およそ20種類に及ぶ宮廷装束の着装を御披露しました。

第1幕:小袿(袿袴道中着姿) 4領


「小袿」は「小褂」とも書いて「こうちき」と読みます。
平安時代に上流階級の婦人の日常着として発達したもので 本来は「長袴」を用いますが明治時代に宮中の女官が奉仕するときの服装にも定められ
動きやすい「切袴」も用いられることがあります。
この姿は外出のときの服装がもとになっていて「道中着」と呼ばれています。
装束をお召しになる「御方(おかた)」は まず「白小袖」と「切袴(きりばかま)」とを身に着けます。

小袖の上に「単(ひとえ)」をはおり つづいて「小褂」を重ねます。

長く引くように仕立ててある裾をからげて 丸絎(まるぐけ)の紐で留めます。

懐を整えているところです。

「お服上げ」の終了です(衣文道では「着付け/着装」のことを「お服上げ」と申します)。

「御方」が舞台前方に進むと 解説が始まります。

解説者:衣文道高倉流 宗会頭 仙石宗久(背景に写っているのは「枝桜の小褂」)
小褂1
小褂2
小褂3
小褂4

第2幕:十二単 6領


解説者:衣文道高倉流 宗会頭 仙石宗久(背景に写っているのは「枝桜の小褂」)

髪は「大垂髪(おおすべらかし)」で 額に「釵子(さいし)」という飾りを着けます。
そして「白小袖」に「長袴(ながばかま)」を身に着けています。
長袴には「濃色(こきいろ=濃紫)」と「緋色(ひいろ)」の2種類があります。

会場の風景

まず「単(ひとえ)」をはおります。

襟をあわせて前後の両脇にひだを取り「衣文紐」で前を留めます。

つづいて「衣(きぬ)」を重ねてゆきます 「衣」は「袿(うちき)」と呼ばれることもあります。

正式な十二単では「衣」を五枚重ねにしますので「五衣(いつつぎぬ)」と呼ばれます。
衣文紐は 次の衣の前を留めたら先に用いたものを抜き去って 2本の紐を交互に用います。
十二単の腰は最終的には一本の紐だけで留められるのです。

「単」と「五衣」の組合せを「襲色目(かさねいろめ)」といって
 季節や場面に応じて数十種類を使い分けます。

「五衣」の上に「打衣(うちぎぬ)」を重ねます 「打衣」には多く濃色を用います。

続いて「表着(うわぎ)」を重ねます 「表着」には他の衣よりひときわ美しい織物を用います。

次々と重ねられる美しい衣の数々に会場の皆さまも見入っていらっしゃいました。

「表着」の上に「唐衣(からぎぬ)をはおります
「唐衣」は腰丈で袖も短い衣で これが女性の正装の証しとなります。

続いて後ろ腰に「裳(も)」を着けます。
「裳」には女性の成人のしるしの意味合いがあり 古くは女性の成人式を「裳着の儀」といいました。

最後に御方に「檜扇(ひおうぎ)」をお持ちいただきます。
「檜扇」は他人に顔を見せないことが女性のたしなみだった時代に発達したもので拡げると美しい絵が描かれていて 顔の前にかざすのに用いました。

「お服上げ」の終了です。

それぞれの装束について詳しい解説が始まりました。

第3幕:宗家挨拶


●衣文道高倉流 宗家 高倉永満

1000年を遡る平安時代以来の宮廷装束の着装にまつわる有職故実を「衣文道」と称します。
衣文道高倉流は山科流と並んで鎌倉時代のはじめから800年に及ぶ伝統を守っております。
宗家より高倉家と衣文道とのかかわりについて講話がありました。

現宗家は当流の家元として25世にあたります。

また高倉家は藤原一門として藤原長良を初代とし現在で38代を数えます。

聴衆の皆さまもあらかじめ配られた資料を見ながら熱心にお聞きくださいました。

第4幕:束帯 4種


「束帯(そくたい)」の装束は 大宝・養老の律令で定められた「朝服(ちょうふく)」に由来します。
男性の宮廷装束として正装にあたり さまざまな種類があります。
「御方」は「冠(かんむり)」をかぶり 「白小袖」に「大口(おおくち)」の袴を着けます。
足には靴をはきますので 「襪(しとうず)」という靴下をはきます。
足袋と違って「襪」の足先は分かれていません。

「大口」の上にはく「表袴(うえのはかま)」の準備をしています。
会場の風景

上体にはまず「単(ひとえ)」をはおります。
性の「単」と違って袴の中に着込めますから 丈は短めに仕立てられています。

「単」の腰を「表袴」の腰紐で留めます。

束帯装束のおおもとは 遠くペルシャの騎馬民族の服装に由来します。
シルクロードを経て中国の宮廷に取り入れられたものが日本に伝わったのです。
乗馬用にも用いられたほどですから 見かけより動きやすいものです。

「単」の上に「下襲(したがさね)」を重ねています。

夏物の束帯装束では下襲も一重仕立てとなります。
蘇芳(すおう)色の夏の下襲です。

束帯装束のうち「闕腋(けってき)」という形式のものでは「下襲」と「袍」とのあいだに
「半臂(はんぴ)」という袖無しの衣を着けます。
袖の見えている白い衣が先につけた「下襲」で その上の黒い衣が「半臂」です。

夏物一重仕立ての縹(はなだ)色の下襲に「半臂」を重ねています。
半臂はもともと縫腋の束帯にも用いましたが 着ても見えないために現在は省略されるのに対して
闕腋の袍は脇が開いていて下に着ているものが見えますから 闕腋の束帯では半臂を省略しません。

冬物の束帯の下襲の表地は白で その上から「袍」を重ねています。
 「袍」は束帯の表着にあたり 「ほう」とも「うえのきぬ」とも読みます。

中の二人は「闕腋」の束帯で半臂を整えているところですが、外の二人は「縫腋」の束帯で半臂を着けませんから すでに「袍」をまとっています。

中の二人にも「袍」をまとわせるところまで進みました。

「袍」はたっぷりとゆとりをもって仕立ててありますので革製のベルトで腰を留めてその帯に懐をたくしこみます。

お服上げの最後が近づき 袖先を折りたたんで整えます。

束帯装束では「帖紙(たとう)」という懐紙にはさんだ「檜扇(ひおうぎ)」と「笏(しゃく)」という威儀物の木の板とを携帯します。
「檜扇」は女性のものより小振りで白木の扇です。

お服上げの終了です。

束帯1・冬の縫腋袍
縫腋袍は主に文官が用います。
「垂纓(すいえい)の冠」をかぶり「浅沓(あさぐつ)」をはいた姿です。

束帯2・夏の縫腋袍
夏物は袍も一重仕立てとなりますので懐中した帖紙が透けて見えます。

束帯3・冬の闕腋袍
闕腋袍は武官や未成年者が用います。
「巻纓(けんえい)の冠」で こめかみには「老懸(おいかけ)」という飾りがつきます。
靴は「かのくつ」というブーツで字は「革」へんに「華」と書きます。

束帯4・夏の闕腋袍
かぶりものは「空頂黒サク」(「サク」は「巾」へんに「責」と書きます)といいます。
冠は成人の印としてかぶるもので 男性の成人式を「加冠の儀」といいましたが天皇・東宮の成人式において 冠をかぶるまで用いられるものです。
はきものは「絲鞋(しがい)」といって絹糸を編んだものです。

 右:縫腋袍・垂纓の冠
 左:闕腋袍・巻纓の冠

下襲の裾(きょ)は袍の下から後に延びます。
身分が高いほど長くなり 天皇の装束では足首から後に1丈2尺(3.6m)に及びます。

闕腋の束帯では袍の後も下襲の裾と同じ長さとなります。
また 後ろ腰には革のベルトが見えています。
飾りの玉(ぎょく)などをつけますので「石帯(せきたい)」といいます。

第5幕:直衣・狩衣 4種


束帯装束のお服上げを務めていた衣紋者たちもそれぞれ装束を身に着けていました。
束帯につづいてこれらも御解説しました。
向かって左から「烏帽子直衣」・「冠直衣」・「小直衣」・「狩衣」
これらの装束では 袴はいずれも「指貫(さしぬき)」を用います。

「直衣(のうし)」は公家の中でも上流の「上達部(かんだちめ)」と呼ばれる人々が日常着として用いたものです。
その構成が 束帯を簡略化した「衣冠(いかん)」の装束とほぼ同じであることから天皇の許しを得れば直衣のままで参内することもでき 名誉とされました 。
向かって左から「烏帽子直衣」・「冠直衣」・「小直衣」・「狩衣」これらの装束では 袴はいずれも「指貫(さしぬき)」を用います。

「冠直衣」の姿です。
冬物で 表地にはふつう白を用います。

「烏帽子(えぼし)」をかぶった姿で こちらが直衣本来の形です。
夏物では直衣も一重仕立てとなります。
色は「二藍(ふたあい)」といい 藍と紅をかけあわせて染めます。
「紅」は「べに」とも「くれない」とも言いますがその「くれない」は「呉(くれ)の藍(あい)」が語源ですから、「藍+紅」で「二藍」というのです。

向かって左は「小直衣(このうし)」 右は「狩衣(かりぎぬ)」です。
よく似た形ですが 小直衣は狩衣の裾に「襴(らん)」を付けたものをいいます。
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小直衣の襴を見せているところです。
「襴」は直衣や束帯の袍にもありますので 小直衣は直衣と狩衣の中間の服装ということになります。

したがって「小直衣」は「直衣」よりもくつろいだ服装として 上達部や上皇が好んで用いました。

「狩衣(かりぎぬ)」はもともと鷹狩りにもちいたスポーツウェアから発展したものです。
動きやすいので公家の日常着となり「殿上人(てんじょうびと)」とよばれる中流の貴族がもっとも普通に着たものです。
決まりごとのきびしい束帯・衣冠・直衣などと違って 色目や文様は自由に選ばれましたが袖先の飾りについている括り紐は年齢によって使い分けがありました。

第6幕:御引直衣 1領


最後の舞台では 当流宗家と次期宗家とがお服上げを務めて「御引直衣(おひきのうし)」を御覧いただきました。
「引直衣(ひきのうし)」とは直衣の裾を長く仕立ててゆったりと着る装束でもとは上達部が家の中でくつろぐときのものでしたが時代が下ると天皇や皇太子の専用となったために「御」の字をかぶせて呼ぶようになり明治以降はもっぱら天皇の儀式服として用いられるものです。
御即位礼の勅使発遣の儀の御装束として御生涯に2度だけお召しになります。
御方は「白小袖」に紅の「大口」を下袴として着けています。
冠は「立纓(りゅうえい)の冠」といって 幕末のころから天皇の領として用いられるものです。

「長御袴(ながのおんはかま)」を着けるところです。
女性の長袴とほぼ同じ形ですが 天皇の長御袴には「小葵(こあおい)」という文様が織り出してあります。

袴の腰を結び留めています。

「長御単(ながのおんひとえ)」を着せかけます。

 つづいて「長御衣(ながのおんぞ)」を重ねます。

「長御単・長御衣」の袖に腕が通ったら襟を合わせて整えます。

前後両脇にひだをとって腰を留めます。

つづいて「御引直衣」の袍を着せかけます。

「首上(くびかみ)」という襟にはボタンのような「蜻蛉頭(とんぼがしら)」がついていて、それで首上を留めます。

束帯や直衣と同じように 胸前のあまったところを腰紐に込み入れます。

込み入れた懐の形を整えているところです。
ふっくらと丸く整えるのが高倉流の特色です。

袖口を畳んで整えます。

つづいて袖先や肩口を整えます。
最後に「檜扇(ひおうぎ)」と「帖紙(たとう)」とを渡します。

天皇の檜扇は白木ではなく「蘇芳染め」という独特のものです。

お服上げを終った姿です。

裾を長く引いているのが御引直衣の特徴です。

宗家・宗会頭で会場からの御質問にお答えして舞台を終了しました。

終 章:閉幕のあと


宗家・宗会頭で会場からの御質問にお答えして舞台を終了しました。

全国の教場からおよそ120名が結集して 舞台上・舞台裏それぞれの役割を務めました。

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