衣紋道と有職故実

衣紋道とは

「衣紋道(えもんどう)」という言葉をご存じでしょうか?
衣紋道とは、ごく簡単に言ってみれば十二単衣(じゅうにひとえ)や束帯(そくたい)などを着る方法を伝えるものです。お雛さまやお内裏さまの着ている、華麗で幅も長さもたっぷりとした着物は何となくイメージが浮かびますが、あれだけ大きくて枚数もある衣装を、どうやって着るのか、と不思議に思われたことはないでしょうか。
おそらく、ご存じの方、聞いたことがある、という方は決して多くはないでしょう。
衣紋道とは、ごく簡単に言ってみれば十二単衣(じゅうにひとえ)や束帯(そくたい)などを着る方法を伝えるものです。お雛さまやお内裏さまの着ている、華麗で幅も長さもたっぷりとした着物は何となくイメージが浮かびますが、あれだけ大きくて枚数もある衣装を、どうやって着るのか、と不思議に思われたことはないでしょうか。
日本に朝廷が生まれ、宮廷とその文化が発達していくにつれて、衣装もまた発展を遂げていきました。
平安時代に入ると、あの優雅な十二単衣や束帯などの華麗な衣装が現れるようになります。こうした衣装は衣服としての実用的な面だけでなく、見た目の美しさということにも重きをおいていましたので、着るのに他人の手を借りるようなものと変わっていったのです。
そうなりますと、天皇や皇后をはじめとした皇族方、大臣などの高位の貴族などの尊い方へも誰か「お着せする」者がいなくてはなりません。宮中やご存じのように天皇を頂点とした、非常に厳しい身分社会でしたので、お着せする方に負担をかけるようなことは、自分よりも身分の高い相手に対して大変な失礼にあたります。宮中においては、それは決して許されないことでした。
いかに美しく、そして身分の高い方に失礼のないよう、不快感をお与えしないようにお着せするか、ということを考えると、そのためには特別の技術が必要となってきます。
平安時代末期の鳥羽天皇のころ、花園左大臣(はなそののさだいじん)と呼ばれた源有仁(みなもとのありひと)は、こうして生まれた着装のための技術を確かなものとし、「衣紋道(えもんどう)」という独特の世界を作り上げました。これが今に伝わる衣紋道の始まりです。

有職故実とは

「有職故実(ゆうそくこじつ)」とは、「有職(ゆうそく)」と「故実(こじつ)」という二つの言葉が組み合わされてできています。意味をごくごく簡単に言うと、宮中にまつわる伝統的な行事・儀式などに関する知識、といったところでしょうか。
本来は「有職」と「故実」とは別の言葉だったのですが、現在では「有職故実」と二つつながった形で使われたり、あるいは本来のようにそれぞれ別の形で使われたりしていますが、意味は三つとも同じようなニュアンスで使われているようです。 「有職」は、本来は「有識」という語で、その通りに「知識が有る」という意味です。それがいつの間にか「有職」という書き方がなされるようになってしまいました。

「故実」という言葉は、「過去の事実」という意味で、今日そのままの意味で使われることもありますが過去の事実・先例に詳しい人、ということで「故実家」などという使われ方をすることもあります。
宮中での行事や儀式においては、儀式そのものの次第というようなことから、誰がどこに座るか、衣装は何を着るか、部屋の中の飾り付けはどうするか、といったことまでたいへん細かな決まりごとが実に多くありました。そして、それらの決まりごとは行事に参加しようとする人々にとっては決して踏みはずしたり、間違えたりしてはならないものでした。もしもそれらを誤ることがあれば、ひどい失笑を買っても仕方のないことだったのです。
そのため、宮中行事に参加するような貴族たちは儀式に関することを細かに日記に書き遺し、記録しておきました。それらの記録はその息子たちにも伝えられ、後世の人々が参考にするようになると、儀式などを行おうとすると、過去に行われたときにはどうであったか、という先例がしばしば持ち出され参考にされるようになります。そうすると、儀式そのものや先例に対する知識というものが非常に重んじられるようになっていったのです。

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